2012年度 議会活動

平成24年第3回定例会(第4日) 一般質問

防災についてをお聞きいたします。
東日本大震災が発生し、今月11日で1年と半年が過ぎました。また、紀伊半島豪雨、九州豪雨などの災害も多く発生しており、今後発生が予想される南海トラフ大地震など、災害について考えさせられることが多くあります。今回、防災について質問するわけですが、防災とは、本来いかにして人を死なせないようにするかということが大きな目的の一つではないかと思います。そのために、地震対策にせよ豪雨対策にせよ、対策の根本として、地域住民に対して避難行動をどう意識づけるのかということだと思います。なぜ逃げ遅れるのか。よくよくその意識調査をしていくと、防災は行政がするものという住民側の思い込みがあります。どういうことかと申しますと、役場から連絡が来なかった、遅かった。結果避難が遅れたということにつながっているようです。行政からの情報や指示を待っていて避難が遅れる。あってはならないことです。本来、避難はその地域の人たち、住民自身の判断と行動に基づくものだと思うわけです。そして、避難についての意識づけや知識を与えるのが行政の職務だと思います。住民への意識づけをどのように考えているのか。また、どのように対策されようと考えているのか、具体的に説明いただきたいと思います。
また、東日本大震災の際には三豊市も職員を数名派遣いたしました。派遣された職員が現地でどのような活動を行い、どのように感じ受け止めたのか、現地へ行った職員からどのような報告を受けているのか。また、その体験、経験を、三豊市の防災行政にどのように生かしていくのか、また生かされたのかをお伺いいたします。

PAGE TOP

ありがとうございます。大変よくわかりました。
再質問なんですが、最近、報道によりますと、大震災の被災地では、現在も職員が不足しているようです。三豊市も要望があれば派遣する予定なのかどうなのか。また、既にもう派遣されているのかどうかお尋ねいたしたいと思います。

PAGE TOP

次に、市内小・中学校の管理運営についてをお聞きいたします。ただ、この質問も同僚議員と重複する部分が出てくるのかもしれませんが、少しでも視点を変えたような状態でお聞きしたいと思います。
学校でのいじめの背景の原因の一つとして考えられるのは、戦後間もなくから60年余りにわたり、管理運営の権限が基本的に教育委員会に委ねられているというところにあるのではないでしょうか。教育に関して強大な権限を独占している教育委員会が教師と役人の保身の組織であり、今回の大津市のいじめ問題においても、子供や保護者などが学校運営から事実上排除されていると言ってもよいのではないかと思います。そこに隠蔽体質が生まれるのではないかと感じている人たちも多いのではないでしょうか。戦後60年以上にわたり、教育委員会制度の中で小・中学校が運営されてきたわけですが、そこには構造的な問題も発生いたしました。そこでさまざまな改革もなされてきました。例えば、教育委員の公選制を廃止するなどがありました。しかしながら、基本的には教育行政の最高決定機関という地位は維持されてきたわけです。教育制度も根本的に変えていくべきであろうと考えております。教育の理想を追い続ける人の話によれば、ゆくゆくは教育委員会の手が及ばない学校が自由につくれたらいいねと志ある教員や市民たちが自分たちで学校をつくり運営するのです。江戸時代の寺子屋のように、一人一人の子供に応じた教育を行います。教員には大変大きな負担が伴いますが、少なくともいじめを無視したり隠蔽したりするような無責任さはきっとなくなるに違いありませんと熱っぽく話をしていただきました。多くの人が同意するところだと思います。また、テレビドラマにあった「金八先生」「ごくせん」、極道先生のような熱血教師はまだまだたくさんおられると信じたいと思いますが、反面、モンスターと呼ばれる保護者や、事なかれ主義の同僚や上司に挟まれると、その熱血の熱も冷めてしまうのではないでしょうか、と感じております。
ここまで教育委員会の責任について発言しましたが、何もそれだけではないと思います。今、ここでとても言いづらいことなんですが、いじめの被害者や保護者の心情をおもんばかると、本当に心が痛んで、とても言いづらいのですが、あえて発言させていただくと、冷静に考えると、親の責任は最も重いということもあるのではないでしょうか。いじめてはいけないこと、いじめられてもへこたれてはならないことを親は養育の中で子供にしっかりと言い聞かせることが大切なことだと思います。我が子が誰かをいじめたり、いじめを受けて挫折したりするようなことがあれば、誰かを責める前にまずは反省も必要だと思います。教育内容にしろ、いじめ問題にしろ、一般社会の抱えるひずみが一番弱い学校という場所に噴出していると感じております。いろいろな立場の人たちがさまざまな切り口で評論され、またプレゼンもされておりますが、子供が自ら命を絶つ、大変悲しくてあってはならないことだと思います。学校に問題が生じたときの隠蔽体質など、教員や教育委員会の役割、管理運営のあり方をどのように考えているのかをお尋ねいたします。

PAGE TOP

今、和光中学でそういったコミュニティースクールがあるということを答弁していただきました。そういった中で、苦情、提案型に変わってきたと。子供たちが伸び伸びと生き生きと明るく学校生活ができ、またその結果が10年後、20年後にあらわれるのだと思います。いろんな形で三豊市内の子供たち全員がそういったような状況、何かに陥ったときには、そういった助けがあるようなシステムをどんどんつくっていただきたいなと思います。
それと、いろんな形で教育問題を論じるときには、いつも教育長から答弁していただくのですが、きのうも同僚議員が質問したときに、市長から、ちょっと雰囲気が違うかもわかりませんが、地域が過疎地域になると。総合的に過疎になるという言葉を使われていたと思うんですよ。そういった総合的に過疎になる、何をやっても過疎になるんだよという部分だと思うんですけれど、そういった意味では、子供たちへの教育も大きく何かかんか関与している部分があるのではないかなと思います。市長というんですか、首長として、教育に対して、いつも教育長に答えていただいていて、物すごくよくわかるんですが、市長として教育に対して発言できないというような立場、またそういう教育に政治が入ってはいけないという部分もよくわかるのですが、今、どのように考えられておるかお聞かせ願えたらと思います。

PAGE TOP

市長のまちづくり推進隊、新しい発想、またアイデアで、どのような形で人をつくっていくんだという部分、大いに期待したいと思います。いろんな形でいじめとか学校内で問題が起こったときに、こういう言い方が合っているかどうかはわかりませんが、長い間かかって本当にいい教育をされようとした部分だけど、経済活動ばかりに住民が奔走する。そうしなければまた生きていけなかったのだろうと思うんですが、いろんな形でゆがんできている部分があるんじゃないかと思います。先ほども言いましたが、教育に政治的介入をするなという部分もあると思いますし、反面、また教育を教師と役人から住民の手に取り戻せというような声も聞くことがあります。いろんな形で現場でおる方は大変苦労されていると思いますが、次の世代を担う子供たちが真っすぐ育つことばかりを思いまして、この問題は置きたいと思います。

PAGE TOP

次に、高齢者のごみ出し支援についてをお聞きいたします。
三豊市も住民の高齢化が進み、さまざまな形でごみ出しが困難な状況になってきています。ごみ出しが困難な方への支援についてどのように要求を酌み上げ、具体化を図っていくのかを伺います。

PAGE TOP

住民の気持ちを酌んでいただいて、丁寧にお答えしていただいたと思います。各家庭のさまざまな事情があって、それをコミュニティー単位、また共助のシステム、支え合うシステムをつくろうという部分だと思うんですが、具体的には、それも部長自身おわかりだと思うんですが、各山合いの谷へ行ったりとか、河原の土手を走ってみると、やはり時々どこかのナイロン袋に入れてごみが捨てられていたりすることが往々にしてあります。そういう人に一度お会いしたことがあります。そうすると、いつ何をどんなふうに出していいのか、説明があったんやけど、わしはわかってないんやと。だからどこに放りにいっていいのかわからないと。放りにいったところ、私が出したごみだけ置かれているので、もう出さないようにしたんだと。まだまだ説明不足というんですか、丁寧に説明していただかなければいけないのではないかと感じております。そういった人たちは、悪いとはわかっているんだけど、処分のしようがなくて捨てているんだということを言われていました。そういった部分に対して、いま一度、どういうふうに感じられるか御答弁をお願いいたします。

PAGE TOP

質問というわけではないのですが、本当に丁寧な行政というんですか、説明責任が必要だなと感じております。ごみを燃やさないし、また他の地域へ放らせない。議会も執行部も一緒になってごみの処理の仕方、大きな部分で全てに対して考えていかなければいけないのではないかなと思います。
以上で質問を終えたいと思います。

PAGE TOP

一覧に戻る→

  • 皆さまのご意見をお寄せください
  • ボランティアを募集しています
  • つながり広がるリンク集です